10電力体制

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そもそも、10電力体制というものは一体どんなものなのでしょうか? また、それが成立した背景には一体何があったのでしょうか?

まだ戦後間もない頃…もう少し具体的には1946年から1950年頃の電力事情といえば、発電所は勿論のこと、送電線も配電線も非常に大きなダメージを受けていました。更に当時主要な燃料であった石炭を筆頭とした燃料も不足していました。そのため、当然ながら送電制限による停電も頻発しまして、電力の安定供給が切実な問題として浮かび上がる形となりました。

そもそも、全国の電力を一元管理するための、1939年という戦時中に成立した特殊法人・日本発送電を中核とした電力国家管理体制は、この当時の技術では既に電力安定供給の手段としては成り立たなくなっていたのです。元々GHQがこの制度の解体を考えていたこともあって、1951年に地域独占に基づいて発電・送電・配電のすべてを統合した9社による、9電力体制が成立したのです。ここで言う9社とは、北海道電力、東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力の事を指しています。

これらの9社は、”豊富・安定・低廉”をスローガンに掲げて、電力の安定供給をその使命としてきました。石炭から石油へと火力発電の燃料の主体は移っていったものの、二度のオイルショックの影響もあって、他国と比べて”低廉”な価格とは言い難いものの、少なくとも安定供給という点ではその使命を果たしていると言えるでしょう。

それゆえ、当初は9電力体制と呼ばれていたのですが、10番目の電力会社がその中に加わったのはいつの事だったのでしょうか? また、それはどの電力会社のことを指しているのでしょうか?

10番目の電力会社…すなわち沖縄電力は、元々アメリカ軍による統治下にあった1954年に、琉球電力公社として発足したものです。これを1972年の沖縄本土復帰時に国と沖縄県とが出資する特殊法人として再編したものが沖縄電力だったのです。ですから、再編された当初は電気事業連合会には加盟していなかったのですが、1988年の民営化に伴って沖縄電力も加盟し、現在では10電力体制と呼ばれるようになっているのです。

ところで、この9電力体制──現在では10電力体制と呼ばれている──が現在に至るまで60年以上続いてきた背景には、何があったのでしょうか?

かつて関西電力の会長であった芦原義重氏は「9電力体制を作った時は、20年か30年もてば上出来と思っていた」といった感想を口にしていました。しかし、実際には既に60年以上の長きに渡って現在の10電力体制は続いてきたのです。長きに渡る制度の疲弊により、本来の目的である安定供給という使命感は薄れてゆき、代わって惰性が色濃くなっていくようになってしまいました。

そのような10電力体制に代わる新しいシステムとして現在、電力自由化の動きが起きている次第なのですが、ジャーナリスト・中瀬信一郎氏は、福島第一原発事故に対する数十年単位の処理をも見据えた長期的時間軸の中で、どんな電力体制が本当に望ましいのかを、腰を据えて考えるべきであるとの論説を展開しております。

但し実際には、電力の自由化の進展に伴い、「10電力体制」という言葉自体、電力各社のエリア内における地域独占を示す言葉として使われることは、少なくなりました。やがては「10電力体制」という言葉は過去のものとなり、あるいは死語となる可能性すらあるのです。

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